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​正信偈に聞く

 37-1 

​平成23年7月24

こんにちは、今日は天親菩薩のところに入ります。

 

意訳】

天親菩薩造論説   天親菩薩、論を作りて説かく

天親菩薩は、浄土論を造って、お説きになられた。)

帰命無碍光如来   無碍光如来に帰命したてまつる。

私は、無碍光如来に帰命いたします、と。

依修多羅顕真実   修多羅に依って真実を顕して

「大無量寿経」に依って仏の真実を顕らかにして、

光闡横超大誓願   横超の大誓願を光闡す。

横跳びに往生させる偉大な誓願を明らかにされた。

広由本願力回向   広く本願力の回向に由って

阿弥陀仏が衆生に差し向けられた本願の力に広くもとづいて、

為度群生彰一心   群生を度せんがために、一心を彰す。

一切の衆生を救うために、一心に帰命することを教えられた。

 

天親菩薩のお徳を讃められた前半分になるわけです。

 

①「天親」―世親ともいう。竜樹よりの二百年後、西暦四世紀初めに北インドのバラモンの家に生まれた。はじめ小乗の学をおさめたが、兄無著(むじゃく)の説得によって大乗に帰したといわれる。竜樹と同じく「千部の論主」といわれ、すこぶる著作が多い。

「唯識三十頌(じゅ)」「唯識二十論」「摂大乗論釈」「無量寿経優婆提舎願生偈」(浄土論)などがある。竜樹が中観仏教の大成者とされるにたいして、天親は瑜伽(ゆが)唯識教学の大成者といわれる。

 

天親と世親は、名前は違いますが同じ人です。インドの言葉で「バスバンズ」と言います。

中国で翻訳される時に旧訳では天親(てんじん)と訳されています。

そして新訳では世親(せしん)と訳されているのです。

親鸞聖人は、正信偈では旧訳の「天親」をつかっておられます。しかし、親鸞聖人も新訳を使って述べられておるところもあります。

インドにおける大乗仏教の学者と言えば、「竜樹菩薩」と「天親菩薩」が、仏教学の双璧と言われます。龍樹菩薩は、お釈迦様が亡くなられて七百年後に世に出られました。それから更に二百年後に天親菩薩が出られます。竜樹菩薩は南天竺の出身、天親菩薩は北インドの出身です。

学問の傾向が二通りありまして竜樹菩薩は「中観仏教」。これに対して天親菩薩は「瑜伽唯識」の大家といわれております。

天親菩薩はバラモンの家に生まれます。インドは昔からカースト制度という身分制度がきちっとしていて、バラモン、王族・庶民・奴隷、その下に不可触賤民と言われる人達がいて、それが、今でもかなり影響が残っているといわれます。

日本はアメリカに次ぐ経済大国と言われておりましたけれども、今は中国が世界で第二の経済大国になったと言われております。そして次にインドが追いつこうとしている。しかしインドがこれだけ経済発展をし近代化しながら、身分制度という大きな矛盾を抱えているわけです。

二十年も前でしょうか、書物を読んでおりましたら、大きな町に上水道を作った。みんなそれに先だってバラモンと奴隷が同じ水を飲むということは許されないと町の議会で問題になって、それを説得するのに市長が困ったということが書いてありました。現在でもインドは身分制度が残っていて、それが近代化の足を強く引っ張っておるということが言われておるわけです。カースト制度の一番上の階級の人をバラモンといいます。天親菩薩はバラモンの出身ですから、生活環境もいい中で学問ができたでしょう。

仏教は、お釈迦様が亡くなられた後に、お釈迦様の教えを厳格に守って、お釈迦様の言われた通りの生活をしていく仏弟子の流れがあります。その仲間の人たちによって、お釈迦様の教えが、言葉を厳密に詮索して仏教が学問的になっていきます。それで在家の人たちとの関係がだんだん切れていって専門職だけが仏教の研究をするようになっていったといわれます。それを「長老派」といっています。

その主流に対して、百年ぐらい後に大乗仏教運動というものが始まったと言われます。そして、お釈迦様の教えを厳密に守っていこうとする出家者の人たちの在り方を小乗仏教と批判して、お釈迦様の教えはもっと広くて、全ての人がそれによって救われていく教えであったはずだと言って、大乗仏教運動が特に在家の人達を中心に興って、そして、そこにたくさんの大乗経典というのが生まれてくるわけです。

お迦様自身は文字を書かなかった人ですから、お釈迦様が亡くなった後に結集(けつじゅう)と言っていますけれども、仏弟子の中の主立った人が集まってきて、そこで教えの確認をしていったといわれます。

例えば、私は何月何日の何処でお釈迦様からこのように聞いたと誰かが言うわけです。そうすると教えは一つでも聞く者によって傾向が違ってくるわけです。それでみんなでそれを聞き集めて纏める。文字にはすぐにならなかったとい言います。纏めたものをまた覚える。

そしてそれがだんだん変わってきて、それが文字になっていく。それが経典なわけです。それらの経典は『阿含経・あごんきょう』と言っていますが、今でも『阿含経』は一冊ではないわけです。たくさんあるわけです。

それを読みますと、キリスト教のバイブルとほとんど同じです。ある時、誰々がお釈迦様にこういうことを尋ねたらこう仰った、と言うようなかたちですから具体的です。

キリスト教のバイブルもイエス様が書いたものではないのです。みんな弟子が書いたものですから弟子によって違います。ルカ伝とかマタイ伝とかというように弟子が書き残しているわけです。そういうものを集めたものが聖書です。

仏教も同じなのです。そういう形で『阿含経』ができたわけです。四阿含経(しあごん)といいまして、たくさんあるわけです。その教えがそのまま残ったのではないかといわれています。ところが百年も経って大乗経典が出てきます。これはお釈迦様から直接聞いたというものではありません。

この大乗経典は「如是我聞・にょぜがもん・我かくのごとく聞きたまいき」と、お釈迦様が説かれたものとして文学的表現、哲学的な内容をもったものとして出てきます。だから大乗経典は非仏説だという論議があるわけです。

いずれにいたしましても、仏教にはそういう一つの流れというものがあるわけです。

 

天親菩薩はバラモンの家に生まれて、小乗、つまりお釈迦様から直接教えを受けた人達の流れの中で学間をされます。しかもお釈迦様が亡くなって九百年も経っているのですから、お釈迦様から直接話を聞くというわけにはいかないわけですが、どちらかというと小乗的な学者として非常に優れた人です。

昔から「唯識(ゆいしき)三年、倶舎(くしゃ)八年」ということわざがありますが、「倶舎論」というのは天親菩薩が小乗仏教にいた時に書いた、小乗仏教のまとめをしたような書物です。

この「唯識」と「倶舎論」は、仏教の基礎的教学書と言われております。天親菩薩のお兄さんに「無著・むじゃく」という人がいます。この人は、天親菩薩が今研究している学問は、お釈迦様の教えを本当に受け継いでいないのではないか。仏教は本来、全ての人々の上に開かれ、全ての人々が救われていくものとして、お釈迦様は教えを説かれたはずなのに、あなたの、今のあり方は非常に小さい仏教理解だということを言われて、そのお兄さんの感化を受けて、お兄さんの言われる通りにして、大乗仏教の学者として再出発をされた、そういう経歴をもった人が天親菩薩だといわれております。

 

仏教には「北伝」と「南伝」という流れがありまして、仏教が中央アジアを通って中国に来て、朝鮮半島を通って日本に来ます。その流れを「北伝」といいます。それに対して、ビルマ・タイ・インドネシアという南の国を通って行った仏教を「南伝」と言います。

南伝仏教は、お釈迦様の伝統的な形式が強く受け継がれているといわれます。温かい国でもありますから、お釈迦様と同じように簡単な衣を着て裸足で歩くような、今でも仏教の僧侶は、お釈迦様の時代とあまり変わらない姿をしておられます。

私が大谷大学の学生の頃に佐々木教悟という先生がおられました。この方から仏教学のある流れを聞きました。この方はタイ国で何年も僧院に入って修行をした人だということで、「大乗仏教と小乗仏教と、どういう違いがありますか」ということを聞いたことがあります。

佐々木先生は、例えば僧院の長老に、「ある川の畔を通りかかったら、誰か女の人が川に落ちて溺れて助けてくれと言っておるとする。その時に、戒律として僧は女に触れてはいけないわけですから、その時あなたはどうされるのですか、」と訪ねたというのです。

そうしましたら「大きい声で叫んで人に来てもらう」というのです。「しかし叫んでも誰も来なかった時は見殺しにするのですか」と言って尋ねた。そしたら「そんな所を通るのが間違っていると」。それはそうかもしれんけれども、人間はどんなご縁に遇うか判らんわけです。言い逃れですけれども、そういうことを言われた。

自分自身が一生懸命悟りを求めていくという心はすごいですよ。それは厳しい修行だと言われました。だからそれを一概に馬鹿にはできないと。ただ仏を信ずるという心において共通だということを佐々木先生は仰いましたけれども、教えの方向としては大乗・小乗ということがあるわけです。

それで非常に学問的といいますか、文字のことについて文字面を辿っていくような学問に対して、そうでない、全ての人の救われる道としての仏教を学ぶべきだということを兄の無著から諭されて、天親菩薩は大乗仏教の学者に成られます。そして竜樹菩薩と同じように「千部の論者」といわれる程の大学者に成られるわけです。そしてこの人の仏教の流れは「唯識」です。

竜樹菩薩の場合は否定の論理なのです。一切は「無」であり「空」である。だから執着を離れよという、日本の仏教の流れで言えば、禅宗がそういう傾向が強いですね。否定の論理です。それに対して「唯識」というのは、人間の迷いの構造を非常に詳しく学問的に述べたものです。

竜樹の場合は、迷いを迷いと断ち切っていく否定の論理です。それに対して唯識というのは、迷いを離れて悟りはないわけですから、迷い自体をむしろ明らかにしていくことにおいて悟りも顕かになってくるという方法をとっているわけです。そういう意味で、インドの仏教学では竜樹菩薩と天親菩薩が双璧になっているわけです。

吉田先生のテキストでいいますと、「竜樹が中観仏教の大成者とされるにたいして、天親は瑜伽唯識学の大成者といわれる」と書いてあります。

 

現在ではヨガというのをテレビで見られたことはないですか。ヨガの健康法です。禅を組んだようにしなさっているのが時々テレビで見るでしょう。息を整えているでしょう。それを調息(ちょうそく)と言います。心を静めて三昧(さんまい)に入る。それを三密相応(さんみつそうおう)といいます。天親菩薩は「相応」ということを言われるわけですが、「三密」というのは身・口・意です。これを三業といいます。

「意」は、心で何を思い、「口」は言葉で何を言い、「身」で何をするか。それで三密と言った場合は、身口意がぴたっと一つに成る。一つになる事に意味があるわけです。それが日本で現在行われているヨガは健康法で考えられておりますが、これは修行して悟りを開くために本来、教えとしてあるものです。

そして「唯識」というのは唯(ただ)識のみありと、こういうことですから我々の見ているものは自分にしろ、全ての一切のものにしろ、自我を基にして迷いの心で執らえたものを実体的に存在するものと考えている。「俺がいる」と、「物が在る」と。そういうものと対立的に捉えて、そして苦しんだり悩んだりする。それが全て迷いだということを知るということが唯識です。その為の方法が瑜伽三密加持(ゆがさんみつかじ)です。その一点を取り上げているのが真言密教です。

真言宗のお坊さんもヨガと同じことを言われるそうです。「あなたは、身体と心と口がバラバラになっているから病気をする。だから三密加持すれば仏さんの心と通じて、あんたの身体の病気は治る」と、こういう言い方をなさるそうです。そんなに容易なことだとは思いませんけれども、要するに、それは成仏という悟りを目的にしているのですけれども、その事が目的に成らないで、一種の健康法として、幸せに成るための方法になりますとこれは迷いです。三密と相応するということを通して悟りを教えられたのが天親菩薩の教えだとおおざっぱにそういう事を仰っておられます。

正信偈 37ー2

​正信偈に聞く

 37-2 

​平成23年7月24

「天親菩薩、論を造りて説かく、」「論」というのは意訳では「浄土論」と言われています。

 

②「論」―「大無量寿経」の注釈である「無量寿経優婆提舎願生偈(むりょうじゅきょう うばだいしゃ がんしょうげ)」(浄土論)

 

「優婆提舎」というのは、インドの言葉を音写したものでする

ウバディーシャーというのは「論義」ということで、天親菩薩が『大無量寿経』をずっと読まれて、そして大無量寿経の精神というものを明らかにされた論書です。だから『浄土論』と言われるわけです。正式の名前は「無量寿経優婆提舎願生偈」。つまり阿弥陀仏の浄土に生まれることを述べておられる偈文(げもん)ですから、願生偈といわれます。

天親菩薩は、千部の論主と言われながらも、この「願生偈」を拠り所になさっておられます。親鸞聖人が七高僧の第二祖に、天親菩薩を据えておられる根拠です。天親菩薩は「千部の論主」として「唯識」を学問的に明らかにされますが、それが本当に調息によって三密相応が可能なのかという疑問があるのでしょう。そういうころから、天親菩薩は浄土論をお作りになって、そして「世尊」と呼びかけられ、「我は一心に、尽十方無碍光如来に帰命し、阿弥陀仏の浄土に生まれんと願う。」という浄土論を造られたわけです。お配りしました浄土論のプリントを見ていただきますと、

 

浄土論

世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国

(世尊、我一心に、尽十方無碍光如来に帰命して、安楽国に生まれんと願ず。)

我依修多羅 真実功徳相 説願偈総持 世仏教相応

(我修多羅、真実功徳の相に依って、願偈を説いて総持して仏教と相応す。)

 

というところからはじまるのです。

次に、「仏国土荘厳十七種」と書いてあります。仏国土というのは浄土です。そのお浄土というのはどういう処かということが書いてあります。お寺の「御内陣」はこういう教えに基づいて象(かたど)ったものです。飾りです。それが十七種説かれていきます。

 

「仏国土荘厳十七種」

観彼世界相 勝過三界道(かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。)

故我願生彼 阿弥陀仏国(かるがゆえに我、願わくば、かの阿弥陀仏国に生まれん。)

 

という言葉で始まり十七種のお浄土の荘厳が説かれます。次に、阿弥陀様つまり仏様自体の荘厳が八通り書かれています。

 

「仏莊厳八種」

無量大宝王 微妙浄花台(無量大宝王、微妙の浄花台にいます。)

相好光一尋 色像超群生(相好の光一尋なり、色像、群生に超えたまえり。)

 

という言葉で始まり、…(中略)…いろいろ説かれて、最後の第八種目の言葉が、

 

観仏本願力 遇無空過者(仏の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者なし、)

能令速満足 功徳大宝海(能く速やかに徳の大宝海を満足せしむ。)

 

になっています。そしてここの部分が、親鸞聖人の御絵像の上の部分に「讃」として書いてあります。

 

観仏本願力 遇無空過者 能令速满足 功德大宝海

 

という言葉ですが、この言葉を親鸞聖人は非常に大切に考えられ、それをそのまま和讃になさいました。

 

本願力にあいぬれば、むなしくすぐるひとぞなき

功徳の宝海みちみちて煩悩の濁水へだてなし。

(高僧和讃)

 

これが、この浄土論の言葉を「和讃」になさったものです。

次に、菩薩様の徳を讃められた言葉が四つあります。

 

「菩薩荘厳四種」

安楽国清浄 常転無垢輪(安楽国は清浄にして、常に無垢の輪を転ず。)

我願皆往生 示仏法如仏(我願わくはみな往生して、仏法を示すこと仏のごとくせんと。)

 

この言葉で始まる菩薩の荘厳が説かれ、そして浄土論の最後は、

 

「回向文」

我作論説偈 願見弥陀仏(我論を作り、偈を説きて、願わくは弥陀仏を見たてまつり、)

普共諸衆生 往生安楽国(普くもろもろの衆生と共に、安楽国に往生せん。)

 

と成っています。

そしてこの浄土論というのは、前半分は、このように二十四行九十六句からなる偈文になっています。そして偈文が終わった後に散文があります。つまり普通の文章があるのです。

次に、プリントには

 

この浄土論は「無量寿経優婆提舎願生偈」と題されているように、無量寿経に関する論釈の意味をもった願生の讃歌である。

前半分は偈頌(げじゅ)の形式で無量寿経を総説し(総説文)願生浄土のいつわりなき心を表白して世尊に帰敬の意を表し、次に三部経によって、この偈頌をつくる旨をのべ、以下ひろく浄土の荘厳を(二十九種荘厳)観察して一心の展開をのべ、終わりに一切衆生とともに願生せんことをあらわしてある。

後半は、その偈頌に含まれている問題を顕らかにする散文から成り、(解義分)偈が願生の一心の体を説くのに対して、後半は願生のすがたである「行」をかえりみて、五つの宗教的実践(五念門の行)をもって、偈頌の深い意義を解説しておる。

全体を貫くのは仏に二心なく帰依した一心であるから、親鸞聖人は「一心の華文」とたたえ、真宗では浄土三部経とともに、三経一論と称し尊重せられる。

 

と、あります。

そして、その後半の内容が「五念門」と「五功徳門」になります。

 

「五念門」       「五功徳門」

礼拝門(らいはいもん)  近門(ごんもん)           念仏のすがた

讃嘆門(さんだんもん)  大会衆門(だいえしゅもん)      念仏の言葉

作願門(さがんもん)   宅門(たくもん)           念仏のこころ

観察門(かんざつもん)  屋門(おくもん)           念仏の智慧

回向門(えこうもん)   園林遊戲地門(おんりんゆげじもん)  念仏による生活感情

 

五念門の行は、先ず「礼拝」、そして「讃嘆」、そして「作願」お浄土に生まれたいと願う、それから浄土の荘厳を「観察」する。最後は一切衆生とともにということが「回向」です。

だから五つありますから五念門の行というのです。

そして、五念門に対して「五功徳門」が書いてあります。つまり五念門の一々についてそれぞれ、その功徳が説かれています。

先ず札拝すれば、その功徳が「近門」です。礼拝は宗教の始まりです。礼拝すれば浄土の門に近づく。それは近門です。門に近づきます。礼拝門に対して徳は近門です。

お浄土に近づく、それは「念仏のすがた」。次に讃嘆門は讃めるのです。そうすると功徳は「大会衆門」です。つまりお念仏によって友ができるのです。それが「念仏のことば」です。南無阿弥陀仏という言葉の中に讃めるという意味があるのです。

次の作願門は浄土を願う、そうすると功徳は「宅門」です。宅門というのは屋敷です。例えば、お寺に門から入るでしょう。そうすると寺の境内でしょう。それが「宅」です。お浄土の屋敷です。それが「念仏の心」といいます。

観察門は浄土および仏を観察する。その徳は「屋門」です。屋門というのは家の中です。

お浄土が近づいて屋敷に入って家の中に入るわけです。「念仏の智慧」と金子先生は仰っています。

そして最後が回向門です。功徳は「園林遊戯地門」です。それは「念仏による生活感情」と金子先生は仰っておられます。

正信偈には「遊煩悩林現神通」煩悩の林に遊んで神通を現ずと述べておられます。

これが回向門です。浄土論はこういう内容になっているのです。

 

そしてその次に親鸞聖人の「尊号真像銘文」の中の浄土論についての解釈をプリントしておきました。

 

「世尊我一心」というは、

世尊は釈迦如来なり。我ともうすは、世親菩薩のわがみとのたまえるなり。一心というは、教主世尊の御ことのりをふたごころなくうたがいなしとなり。すなわちこれまことの信心なり。

「帰命尽十方無碍光如来」ともうすは、

帰命は南無なり。また帰命ともうすは、如来の勅命にしたがうこころなり。尽十方無碍光如来ともうすは、すなわち阿弥陀如来なり。この如来は光明なり。尽十方というは、尽はつくすという、ことごとくという。十方世界をつくして、ことごとくみちたまえるなり。無碍というは、さわることなしとなり。さわることなしともうすは、衆生の煩悩悪業にさえられざるなり。光如来ともうすは、阿弥陀仏なり。乃至。「願生安楽国」というは、

世親菩薩かの無碍光仏を称念し、信じて安楽国にうまれんとねがいたまえるなり。

(尊号真像銘文 518頁)

 

と親鸞聖人が解釈をしておられます。そこで、特に親鸞聖人が浄土論において非常にお慶びになっているところは、一番始めの言葉です。

「無量寿経」というのは「大無量寿経」でしょう。だから天親菩薩が大無量寿経を読んで読みぬかれて、そして「世尊」と呼びかけられるわけです。しかし九百年経っているわけですから、お釈迦様はおられません。でも大無量寿経にお釈迦様の教えが生きているわけです。

だからお釈迦様に呼びかけるわけです。「世尊」と。私は一心に尽十方無碍光如来に帰命し安楽国に生まれんと願じます。そこに大無量寿経に説かれたお釈迦様の心を真受けにした天親菩薩の心があるわけです。

正信偈には「天親菩薩造論説・帰命無碍光如来・依修多羅顕真実・光闡横超大誓願」と、こういうように言われるのですが、天親菩薩の「世尊我一心・帰命尽十方・無碍光如来・願生安楽国」という言葉が天親菩薩の信心の表白ですし、それが私たちの救われていく相です。

そういうものを顕しているのだということは非常に大事だと思います。

だからご存じのように、皆様の家のお内仏の中の、向かって右側の軸の言葉は、この「帰命尽十方無碍光如来」。この浄土論のこの言葉を揚げているわけです。これを十字名号といいます。だから私たちは、この十字名号をいただく時に天親菩薩が「世尊我一心」と言われた心をいただかねばならんわけです。親鸞聖人もそうでした。そこに一つの世界を持つことができるわけです。だから、死んだらお浄土に行くか行かないかということでなくて、浄土はここにはたらいておるわけです。

どういう形ではたらいておるかといえば、「南無阿弥陀仏申せ」という形ではたらいておるわけです。それが、私たちの在り方を、天親菩薩は「世尊我一心・帰命尽十方・無碍光如来・願生安楽国」と顕しておられるわけです。そして、それをそのまま正信偈に述べられたのが、「帰命無量寿如来・南無不可思議光」です。だから親鸞聖人が正信偈を書かれたその下敷きは、この浄土論なのです。

だから「帰命」ということが、私の上に立つか立たないかということでしょう。天親菩薩は「千部の論主」と言われた方ですけれども、そういう学問は学問として、むしろ天親菩薩ご自身が、仏教そのものを生きる道として「世尊我一心・帰命尽十方・無碍光如来・願生安楽国」というお相を示された。

そういう天親菩薩を親鸞聖人は竜樹菩薩の次に、第二祖としてあげられるわけです。

そこのところが天親菩薩のお徳をほめておられるところの大事な問題になってくるわけです。次に、古田先生の(意訳)です。

 

天親菩薩は、浄土論を造って、お説きになられた。

私は、無碍光如来に帰命致します、と。

「大無量寿経」に依って仏の真実を顕らかにして、 

横飛びに往生させる偉大な誓願を顕かにされた。

 

とあります。それが天親菩薩の大きなお徳ですし、私たちにとって大きなご恩です。次に、

 

③「帰命無得光如来」―「無碍光」は何ものにも碍(さまた)げられない光。

 

とテキストにはあります。

これは、先ほど読みました「尊号真像銘文」で言えば、無碍光ということを「衆生の煩悩悪業にさえられざるなり。」と書いておられます。これが非常に大事でございます。

私たちは自分の思いとか煩悩に執らわれて心を静めたいと思えば思うほど鎮められないということがあるわけです。そうしますと、私たちはこんなことでは駄目だと、どこで仏教を聞いておるのだろうかという思いがふっと出てきます。それが疑いです。なぜかと言えば、私たちをそういうものと見抜いて、阿弥陀仏は本願を建て名号を成就して、そして我が名を称えて我が国に生まれよと呼びかけておられるわけでしょう。だから親鸞聖人のお言葉でいただききますと、

 

仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、

いよいよたのもしくおぼゆるなり。

(歎異抄 第九章)

 

と歎異抄にあります。そういう事です。

だから、自分でも驚くような思いや言動が出てきた時に、むしろそれを目印にして南無阿弥陀仏に転じていく。それが「世尊我一心」です。そういう一つの展開が私の上に起きてくる、それが横飛びです。横飛びに対して、次第順序を踏んで年月をかけて修行をするという、竪(しゅ)の教えがありますが、そうでなくて、南無阿弥陀仏で一跳びでいくから「横超・おうちょう」というわけです。

古田先生は「横飛び」という言い方をなさっていますけれども、そういうことが私たちの、日暮らしの中ではっきりと、横飛びに南無阿弥陀仏と申させて頂けるというところに、私たちの救いがあるわけです。そういう道を『大無量寿経』によって「世尊我一心・帰命尽十方・無碍光如来・願生安楽国」と天親菩薩は言ってくださった。親鸞聖人は、正信偈で経の真実において天親菩薩は横超の大誓願を顕かにしてくださいましたということをおっしゃっておられるわけです。

 

以前、九州大谷短大の学長をなさった方で、蓬茨(ほうし)先生が「無碍光といえば光がバッと広く明るく闇を照らしておられるように考える、それも間違いない。しかし私のような愚かなものの心にまで届いてくださったという味わいだ」と言われたのはとても印象に残りました。光がバッと広く闇を照らしているといったら、私が抜きになって、観念的になってお慈悲が有り難いと、こういう言い方になるのです。

そうじゃなくて、私のようなものの中にまで届いてくださったということが、この無碍光如来の味わいですと、蓬茨先生が仰った事が、私には非常に印象に残っています。

だから、蓬茨先生自身が、そういう喜びをもっておられたからこそ言えたのでしよう。次に、

正信偈 37-3

​正信偈に聞く

 37-3 

​平成23年7月24日

④「修多羅」・スートラ。縦糸。「経」(縦糸)。経典。ここでは浄土三部経、とくに「大無量寿経」をさす。「浄土論」に「我依修多羅、真実功徳相、説願偈総持、与仏教相応」とある。

「われ修多羅、真実功徳の相に依って、願偈を説いて総持して、仏教と相応す。」

 

とテキストにあります。

スートラというインドの言葉が縦糸という意味です。それを音訳したのが修多羅です。意味は「経」です。経という字が縦糸という字なのです。

地図を見ますと「経度」と「緯度」というのがあります。現実には縦も横も線はないのですけれども、縦線を「経度」横線を「緯度」と言います。善導大師が、なぜこの字をスートラに当てたかということを言われる時に、縦糸というのは布を織る時に、先に縦糸を張っておくわけです。そして布を織る時に横糸を通していくのです。だから経というのは、縦糸というのは一貫していると。始めから引いてあるわけですから、変わらない不変という意味を表します。

横糸は、私たちの日常生活のいろんな出来事です。諸行無常ですから何でも起きてきます。

起きて来た時に縦糸をもつているかもっていないかということです。ただ幸せ不幸せというだけの話だったら、その事に振り回されてしまいます。何が起きてきても縦糸「経」を持っている。諸行は無常であり、これが人生だと。無常にうろうろする私がおればこそ、私を見透して南無阿弥陀仏という本願が建てられたわけです。そこに南無阿弥陀仏という縦糸をもっておるかもっていないかの違いです。そういうことを顕すのがこのお経という字の意味だということを善導大師は言っておられます。

私たちの本当の幸せは何かといえば、縦糸を頂いたということではないでしょうか。何の値打ちもない本当に愚かな人間ですけれども、幸いにしてご緑があって縦糸を頂いた。禅を組めとか修行をしろといわれたら何もできませんけれども、ただうろうろしている中に南無阿弥陀仏と一声念仏申す法というものを与えていただいておった、その事にはっと我に帰る時、本当にそうだったと、それが縦糸でしょう。

だから私たちの日常生活の中に縦糸を頂いておったということが幸せです。他の幸せは崩れます。この幸せは崩れません。むしろ厳しいことがあればあるほど、味わいが深まるといいますか、こういう私であればこそ、こういう人生であればこそ教えの大切さが頂けるということがあるのでないでしょうか。

「相応」というのは、先ほど「三密相応」ということを「瑜伽」のところで申しましたが、これは曇鸞大師ですけれども、函蓋相応(かんがいそうおう)ということを言っておられます。

私が学生時代に習いました先生は、茶筒の例をあげられました。

茶筒の蓋と身がぴたっと合って遊びがない、それが相応という意味だと言われました。

清沢先生は「有限と無限との対応」という言い方をされます。「相応」というのを清沢先生は「対応」と言っておられます。有限は我々のことです。無限は如来様のことです。阿弥陀というのは無限ということですから無限というのは、姿形はありません。姿形があれば有限です。そういう意味でいうたら無限というのはどこで受け取れるかといったら、有限の自覚において無限が受け取れるわけです。

有限の自覚というのは、私たちは煩悩具足の凡夫だと、救われようのない私だと本当に深く信ずるということは、限りない無限が私の上にはたらいているわけです。それは阿弥陀の徳です。南無・阿弥陀仏。

「御文」の中で、

 

南無とたのむところに阿弥陀仏のすくいたもう道理あり。

 

と言われます。

仏教は法ですから道理を教えるわけです。南無は機のかたなり、南無は有限、阿弥陀仏は無限です。南無とたのむところに阿弥陀仏の救いたもう道理がある。「法」ということです。

南無阿弥陀仏は何を顕しているかと言えば、南無とたのむところに阿弥陀仏の救いたもう道理がある。しかし、阿弥陀仏はたのんでもらわなければ、阿弥陀仏が阿弥陀仏にならないわけです。阿弥陀仏が、俺は仏だと言ってみたって、これによって助かる人がおらなければ、仏とは言えないわけです。助かってもらって仏が仏に成れるわけです。阿弥陀仏に助けてもらって、衆生がはじめて衆生として落ち着ける。そういう深い関係を清沢先生は「有限と無限との対応」と言われたわけです。それを明らかにするのが「信心の問題」です。

阿弥陀仏のはたらきがなければ「南無」とは言いません。ただ私が南無と言ったぐらいでは南無になりません。「阿弥陀仏」のはたらきがあって、何が私に「南無」と言わせたかというたら、救われようのないわが身をわが身と知らせる、それが有限です。知らせるはたらきが無限、即ち阿弥陀仏です。この「南無」と「阿弥陀仏」の深い関係が、六字のみ名のおいわれだと蓮如上人は言われます。

 

南無は機のかた、阿弥陀仏は法のかたなり。

 

南無とたのむところに阿弥陀仏の救いたもう道理があるということを顕したのが南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏は単なる呪いではないのだということを蓮如上人は一貫して言っておられます。それがはっきりしなかったら、私たちは自分の人生が本当に空しく終わってしまいます。「南無とたのむところに阿弥陀仏の救いたもう道理がある」、それを清沢先生は「有限と無限との対応」といわれておるわけです。

 

曇鸞大師は函蓋相応ということを言っておられます。つまり箱と蓋です。箱と蓋がぴたりと合うということです。それが「帰命」ということです。つまり「信心」ということを言ってあります。次に、テキストには、

 

⑤「光聞」―光によって(智慧の輝きによって)明らかにすること。

⑥「横超」―順序・段階を経ないで飛び越える(飛び越えさせる)こと。

 

そういうことが、私たちにそうだといただける時というのがあると思うのですよ。それが日常生活の中であるのです。何かいつも危機はあっているのです。思って成らんことを思い、言ってならんことを言い、恨んでならんことで恨み、憎んでならんことを憎む。そういうものは、見れば出てきますし、聞けば出てきます、それこそ「業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし」です。そういうわが身を、「煩悩具足の凡夫」と言い当ててあるわけですから。

 

先月お話をしました長崎のお医者さんが七月十八日に亡くなられました。眠るように亡くなられたそうです。ホスピスですから治療としての医療は終わるわけです。ですから、ホスピス病棟の方に入院されていました。後は、痛むわけですから、身体の痛みをやわらげ、どうして痛まないようにするかということがホスピスです。この癌さえ採ればと思っていたのに、身体中転移しているわけです。先生は「身というものを通して宿業というものを感じます」と仰いました。

亡くなる一週間前に見舞いに行きました。その前も度々行っては、いろいろ元気に話をしていました。もう暗いところは何もないのです。その時に、ぼそっと言われたのは「恩愛の情」ということをいわれました。やっぱり「教」があるのですよ。

 

なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。

(歎異抄 第九章 六三〇頁)

 

と「親鸞聖人は言うて下さっておりますもんね。」と言って、にこっとされました。

その教えは言葉です。言葉には、生きている言葉と死んだことばとあるのです。聞いても、我も助からん人も助からんことをするのが、昨日のような乱射事件になるわけです。あれも言葉をもっているはずです。それがキリスト教の原理主義だといわれますけれども、そういう言葉に動かされて、何十人という人を銃で乱射して殺してしまう、そういう言葉も人間にはあります。

しかし、自分の人生が真に落ち着く言葉もあるのです。その時「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときへはまいるべきなり。」と。「かの土」は浄土です。その言葉に浄土ははたらいておるわけです。死んだら行くというかたちでなくて、浄土ははたらいておるわけです。浄土は南無阿弥陀仏の世界です。

「親鸞聖人は何も彼も言い当ててくださっていますもんね。」と、仰いました。それが「お経」です。それは基本的には南無阿弥陀仏です。それが原理です。それが「世尊税一心・帰命尽十方・無碍光如来・願生安楽国」です。こういう言葉が、天親菩薩の浄土論にあったということが、親鸞聖人の救いになっているわけです。

親鸞聖人は流罪以後、「愚禿親鸞」と名告られます。「親」は天親の親と言われます。天親菩薩の浄土論の心を顕したものが後に中国に出られた曇鸞大師の「浄土論註」です。その曇鸞大師の「鸞」を頂いて「親鸞」と名告っておられるわけです。

天親菩薩が出られましても曇鸞大師の「浄土論註」がなければ、本当の心は頂けなかったということを親鸞聖人は和讃に述べておられます。

 

天親菩薩のみことをも 鸞師ときのべたまわずは 他力広大威徳の 心行いかでかさとらまし

(高僧和讃 曇鸞和尚 四九二頁)

 

だから天親菩薩と曇鸞大師は、親鸞様の最後の拠り所になったわけです。中心は「世尊我一心・帰命尽十方・無碍光如来・願生安楽国」です。それがいろいろな表現になっていくわけです。それが函蓋相応です。

これは、自分の思いで一つに成ろうと思ってもできません。思いは、恨んだり憎んだり、腹を立てんでいいことに腹を立てたり、私にはそれしかないですよ。それが横糸です。何でも出てきます。そこに縦糸がはたらくわけです。

「我が名を称えよ」とはたらいていてくださっているという意味です。そういうことを、私は特に天親菩薩の浄土論の最初の言葉を有り難く頂きます。ことあるごとに「世尊我一心・帰命尽十方・無碍光如来・願生安楽国」と仰ったということを夜の寝覚めの時にでもふっと気づかされ口ずさむことがございます。

本当に、私の生きて来た人生は、皆さんから許されてここまで来たという思いが強いです。

それにつけても、私は、そういう私をまともに見ようとしないで来たと思います。仏教がなければ、見ようとしないと思います。「世の中みなそうだと、そうしなければ生きていけない」というぐらいに思って来たと思います。しかしそうでなくて、

 

「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」

 

と仰ってくださった。

帰命無量寿如来・南無不可思議光、それを南無阿弥陀仏と仰ってくださった。これがあれば、例え私の一生がどういう一生であっても浄土に往生するという意味をもった一生に変わるわけです。

特に私は、この天親菩薩のお言葉を有り難く頂くわけでございます。今日はこれで終わります。有難うございました。

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